デジモンアドベンチャーLAST EVOLUTION 絆を観た
デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆を観てきた。
かなり時間が経ってしまったけど、映画?の感想をアウトプットする。 もはやデジモンアドベンチャー談義である。 (どうでもいいけど「LAST EVOLUTION」が「LOST EVOLUTION」と被っていつも間違える…)
※ご注意ください。映画のネタバレを含みます。
隙あらば自分語り
この映画が公開されたとき、観に行くつもりは一片たりともなかった。 後で円盤を買って見るつもりであった。
そう、いまだに買ってすらいないtri.のように。
もともとテレビシリーズのデジモンは大好きでも、映画はそうでもなかった私だ。『ぼくらのウォーゲーム!』を見ても、大した感想を持たなかった。(それは一重に太一とヤマトの物語であったことが原因だと思うのだが、ここでは省略する。)
そんな私を動かしたのは、公式からのメッセージだった。
”デジモンとともに歩んだ、すべての”子どもたちへ”ーー。
「あ、これ観なきゃだめだ。」思わず声が出た。 私の中で、デジモンアドベンチャーとは最も大切な自分を構成する要素の一つだった。何度この物語に助けられてきたことか。そして何度涙したことか。
しかしながら、息苦しさも感じていた。
「いつまで無限大な夢の中にいるのだ」 という、内なる自分の声だ。
この映画は、そんな自分に答えをくれそうな、そんな気がした。
※ご注意ください。以下は映画のネタバレを含みます。
”大人になる”とはどういうことか
まず私がこの映画の中で最も印象に残ったことを書いておこう。
唯一エオスモンの脅威から逃れた、空である。
これはかなり人によるかもしれない。私にはこの物語の主人公は空ではないか、と思ったぐらい印象的だった。
太一とヤマトがエオスモンと戦っている最中には、空がすでにピヨモンとの別れが済んでいることが暗示されている。黒いデジヴァイスもそれを裏付けている。
劇中では、空はピヨモンを抱きしめながら次のように言っていた。
「もう戦わないって決めたから」
おそらくこの時にピヨモンは消えてしまった。 作中の表現を借りると、このとき空は”大人になった”のだろう。
”大人”になってしまった選ばれし子どもに、エオスモン、ひいてはメノウは興味がない。 メノウの目的は、選ばれし子どもたちが大人にならないことなのだから。
そういった意味では、空の存在は劇中で唯一のイレギュラーだ。 メノウにとっては、最も理解しがたい人物だっただろう。
”あの冒険が終わって欲しくない”
”デジモンたちと永遠に過ごしたい”
そういった想いから、空は自分で自分を分離させた。
一人で決めて、一人で生きていける。その力を持ったのだ。
デジモンとは子どもたちにとっての半身である
映画のラストでは、メノアの強固で純粋な意思の力を前に、くじけそうになる太一とヤマトをアグモンとガブモンが励ますシーンがある。
これは、アニメシリーズの中でも何度も繰り返されたシーンであった。
子どもたちがくじけそうになったとき、いつだってデジモンたちは「一緒に頑張ろうよ」「一緒に戦おうよ」「諦めるな」と励ましてきた。
それは、子どもたちにとって、現実ではありえない、理想の存在に他ならない。
自らの特性をすべて理解し、足りないところを補ってくれ、共に歩んでくれる。それがパートナーデジモンだった。
パートナー関係が解消されるとき。それは自分にとって理想の存在が必要なくなるとき、一人で歩めるようになるとき、に等しい。
劇中の言葉をまたも借りると、それは”大人になる”ということである。
”最後の進化”とは、”最後の手助け”でもあると感じた。
パートナーデジモン
そもそもパートナーデジモンとはなんだっただろうか。 テレビシリーズデジモンアドベンチャー02では、最終回で以下のことが語られている。
子どもには夢を叶える力がある。故に、パートナーデジモンを持つことができる。
子どもが夢を持ち、それを叶えようとするときに、パートナーデジモンが現れる。
つまりこれは、人生のスタートラインだ。夢を持ち、それを志すことで、人は助けを得ることができる。それがデジモンであっても、人であっても変わらない。そういう志を持った人間のところに、人は集まるものである。
その後
この映画の後日談が存在する。それはデジモンアドベンチャー02の最終話だ。このとき太一やヤマトはもちろん、全員がパートナーデジモンとともに登場している。
つまり、ちゃんと彼らはあの後”会いに行けた”のだ。 どうやって会いに行ったのか等は不明であるが、私は以下のように感じている。
選ばれし子どもたちの成長過程は、以下のようになる。
①夢を持ち、それを叶えようとすること。
②自らの特性を理解すること。
③仲間とともに大きな困難に立ち向かい、それを突破すること。
④後輩を持ち、それをサポートすること。
⑤一人で生きていけるようになること。
⑥希望を持ち、未来に向かって努力し続けること。
この過程でもちろん失敗してしまうことはあるだろう。 スカルグレイモンに進化させてしまった太一然り(②)、エオスモンを作りだしてしまったメノウ然り(⑥)。
でもそれは間違いではない。失敗したらまた始めればいい。
選ばれし子供たちの”子供”は、身体的なことではなく、精神的なことを表していると考える。 その意味で言ったら、別に物理的な年齢がいくつであっても子供であって構わない。どこからでもやり直しはできる。 そうやって私たちは生きていくし、生きていける。
結局、デジモンは人生の縮図であり、それを教えてくれるガイドラインであった。
今このタイミングで、この映画を観れてよかったと心から思う。
その他感情的な小ネタ
- 始まって5分で泣きそうになる
- 缶ビールを飲む太一に違和感。「あ、大人なんだ」
- 居酒屋のバック音楽ー!!!
- 02メンツの無邪気さがまぶしい
- 世界中の選ばれし子どもたち…あの頃の姿のまま
- 改めて及川悠紀夫にも想いを馳せる